オキナワカップin ONNA
2003 参戦記

オキナワ(ムーンビーチ) ‘03.1/22/〜1/25


プロウインドサーファーにとっては年間ランキングを決定する重要な一戦。
そこへJ20-杉原祐史、J43杉原匡(店長)、631吉崎正洋、
さらにアマクラスでJ222畔上昭仁が参戦。
(レポート: 編集:J-222)

1月21日(火)大会前日
 朝4時半起床。まだ暗い。北風。みぞれも降ってる。そんな中、羽田行きリムジンの始発を待つ。早起きは健康によくない。空港につくと、莫大な量のボードをひきずる選手がオーバーチャージの交渉をしている。私はすでにコンテナで送ってあるので楽だ。それに飛行機とはいえ、今回は日本なので圧倒的に楽だ。飛行機の中で、なんと一口のビールも飲まずに沖縄着。やっぱり日本だ。寒い。
 バスに揺られて1時間。ムーンビーチに到着。店長やザキたちと合流。今日は予報が外れて風ナシ日。みんなで沖縄ソバを食べ、ビールをちょっとだけ飲んだ(私だけ?)あと、道具のセッティング。セイル3枚を貼り、ビーチに陣取る。時を追うごとにビーチにはセイルがあふれ、レース気分が盛り上がる。


1月22日(水)大会初日
 朝6時半起床。朝食バイキング会場へ行く。ジャストスタートのつもりが、すでに年輩の団体(?)の方々がリコールを恐れることなく列をなしている。ど〜してみんな、こんなに早起きなの。
 9時開会式。町長さんの挨拶などの後、ウエイティングへ。予報では南〜南東やや強が出ている。昼から少し上がりはじめ、沖でプレーニング。私も海面に慣れるために出艇。新しいレースウオッチの扱いにも慣れておかねば。
 オフショアなのでインサイドではほとんど走らず。ちょっとアウトまで行ってプレーニング。1往復目で突然頭上で破裂音。
 「げっ、マストだ!」……もちろんそこで沈。
 どうしよう、結構、沖だぞ。潮の流れもある。そしてオフショア。一人だったらかなりヤバイ。でも、まあ、本部船も見えるし、知っている人も海にいる。ちょうど窪田プロがアウトに伸ばしてきたところで「マスト!マスト!」と叫びながら、レスキューサインを出す。窪田プロ、「わかった」という合図をして本部船へ向かってくれた。
 その頃、本部船は昼食中。潮の流れと風向きが逆向きなので(どっちに流されるんだと私はずっと考えていた。どっちも最終結果はあまり嬉しくない)、あまり流れないと判断したのか、かなりゆっくり来てくれた。道具ごと船に乗っかり、ビーチへ向かう。沖縄カップ2003、マストブレイク&レスキューの第1号になってしまった。でも、ホント、一人だったらパニックな状況だよね。船がいてくれてよかった。
 セイルを貼り替え、再度海へ。レースウオッチに目を向けると画面が真っ白。えっ、壊れた?でも、沈って、マストブレイクの時、1回だけだよ。電池切れ? でも、買ったばっかりだよ。まあ、海の上でそんなこと考えてもしかたないので、1時間ほどプレーニング。ガスティで乗りにくいけど、少しでも体を慣らしておきたい。だって、ウインド自体がほぼ1カ月ぶりなのだから。
 それにしても、みんな速い。直線でバシバシ抜かれる。「オレって、ひょっとして遅かった?」
 浜に上がってしばらくすると、夕刻を待たずに「本日のレース終了」がアナウンスされる。大会初日はウォーミングアップと道具のトラブルで終わった。明日は吹きそうだ。予報では北13メートル。必ずレースは行われるだろう。

オフショアで〜す。


1月23日(木)大会2日目

631 ザキ

 吹いている。
 しかもかなりスゴク吹いている。ホテル中庭のプールでもプレーニングするだろう。
 9時、スキッパーズミーティング。10時より競技開始が宣告される。各選手は、一斉に海上へ。「ホテル屋上で風速18メートルが計測されました。おそらくビーチでも15メートルは吹いているでしょう」というアナウンスが響く。海上はグシャグシャ。おそらくフリーだったら、ためらいなく4・0を張るか、さもなければ風呂入って帰るって感じ。そこに選手たちは5・3〜5・8くらいのセイルで出艇。みんな同じ人間なのになぁ。スゴイ。「己のプライドが亡くなる恐怖」が、「海や強風への恐怖」を凌駕しているのだろう。アマクラスでよかった(と、この時は思った)。

 10時、フリースタイルが開始。マン・オン・マンでの勝ち上がりヒート制で競技が行われる。唯一、外人のマーチン選手が放つとても高いプレーニングフォアードが超カッコイイ。修学旅行で来ているらしい女の子たちも、それには歓声を上げる(彼は、陸上でなにもしてなくても写真を撮られていた)。グラビーとかバルカンよりも、一般の人にはあの手の飛び技のほうがインパクトがあるらしい。実際、あそこまで高く鮮やかなフォアードは、見ていてもスポックより高得点を上げたくなる。


マーチン選手

 フリースタイルが1レース(って言うのかな?)終わったあと、いよいよサーキットクラスのダウンウインド(スラローム)レースである。出艇しようとする店長が、ビーチで砂まみれのセイルと格闘している。
 「どうしたの?」
 「ウォーミングアップでさっき出たセイル、5・8だと思っていたんですけど、実は6・3だったんですよ。よく、オレ、ノー沈だったなぁ」
……そう言いながらセイル交換している。「この人もスゴイ人だなぁ」

 スタートは沖のリーフ際。そこから3マークを駆け下りるのだ。私はコース全体が見渡せる高台から観戦。アウトリーフではマストハイの高波が打ち寄せ、それが爆発するように崩れている。そのスープの厚さ(高さ?)もマストハイ。恐ろしい。確実に死ねそうだ。



沖の波、スゴイでしょ。


 第1マークは私のいる高台のすぐ下。強風に加え、沖からのうねりと返しのうねりがまじり、かなりヤバイ状態。プロでも撃沈が繰り返される激戦マークになっている。J-305小川さんも前のめりに飛ばされ、水しぶきを上げていた。第1ヒート、そんな海面を店長はノー沈で回航。セミファイナルへと駒を進める。



第1マーク、沈する選手をパスし、J-1合志選手を追う店長。

 第2ヒート、第3ヒートと進むうちに、強風とうねりでマークが流され、しばしレースが中断される。本部からの無線で「ビーチでブロウ、20メートル」という連絡があったことを人づてに聞く。その間も、選手たちはプレーニングするかホバリングするかで海上にとどまらなくてはならない。
 ヒートが進むうち、「第2ヒートやりなおし」がアナウンスされる。理由はよくわからない。マークが流れたせいか、それとも誰かのヒートミスか。……しかし、そのアナウンスが徹底するまえに、セミファイナルの第5ヒートがスタートした模様。「なぜ?」
 第5ヒート(?)を走り終えた店長がビーチへ戻ってくる。しかし、この第5ヒートは無効のハズだ。なぜなら、第2ヒートがまだ正式にはやり直されていない……第5ヒートは、第1ヒートの勝者(店長たち)と、やり直された第2ヒートの正式な勝者とが闘うはずだからだ。
 「お兄ちゃん(店長)、もう一回だよ。ヒートがやり直しになっているハズだから」
 「ええっ、だってアゼさん、オレもう腕パンパンですよ。もう乗れないっすよ」
 店長は哀願するような顔で、私に腕を差し出した。触ると、本当にパンパンである。でも、代わることはできない。私は、もう一度、ゆっくりと第2ヒートがやり直しになっていること、だから第5ヒートも無効になっていること、もう一度走らなければならないことを説明した。店長は気合いを入れ直し、再び沖へ向かう。「頑張れ!」
 結局、店長はあと一人を追い抜けず、ファイナルへは進めなかった。しかし、この大会は、セミファイナルでの順位もポイント化され、最終的な結果に影響するハズだ。だからセミファイナルを何位で終えたかも重要になる。このレース、結果はJ-25浅野則夫がトップ。J-20杉原祐史(店長弟)は3位。J-43杉原店長は13.5ポイント。ザキは34.5ポイント。そしてJ-85コングは決勝まで進み、6位=6ポイントをゲットした。コングが年間シングルランカーへ一歩進んだことになる。


最終マークを回航し、ファイナルを目指すJ43杉原店長

 第2レースのヒート表が発表される。風は第1レースより気持ち落ちている。5・3だったセイルを5・8くらいに替える選手もいる。店長もザキもしかし、第1レースから5・8のままだ。キツイだろうなぁ。
 第2レース、ザキを捜す。後ろのほうだ。スタートは上手くいったのだろうか。あいつがあんな位置だったら、私などはどのへんにいるのだろう。
 店長は、再度セミファイナルへと駒を進めた。しかし、ここでもあと一人が抜けず、ファイナル進出ならず。ジャイブはノー沈、艇速だってあるのに……。
 セミファイナルで波乱が。J-85コング選手が、決勝進出間違いなしの順位で最終マークを回航。あとはフィニッシュへ向かうだけの所で沈。
 「お〜〜っと、鈴木選手、ここでなぜか沈!」
と、アナウンスが叫ぶ。そのままウォーターで上がれば充分にまだ決勝へ行けたのに、そこでまた失敗。どうして!……鈴木コング、セミファイナルで敗退。
 さらに、J-20杉原祐史。第2マークを3位か4位で入ったはずなのに、最終マークになかなか来ない。なにかトラブルか。だいぶ遅れてマークを回航し、フィニッシュまで怒りの疾走。その艇速は速かった。ビーチへ上がると怒りのオーラ満載。私もザキも話しかけることすら出来なかった。J-20杉原祐史、セミファイナルで敗退。私は、二人の年間ランキングが心配になった。
 ともあれ怒濤のダウンウインドを2レース消化後、再びフリースタイル。ここでも波乱。4年連続チャンピョンだった石原選手が陥落。若手のJ-605依田が1位。午前中の勝者、J-48石井とともにトップに立つ。ここで、本日の日程は終了。フリースタイルのチャンピョンはどうなるのか? レーシングの年間ランキングはどうなっているのか? そして明日から始まるアマクラスは?

 レースタイマーのトラブル……レースタイマーが壊れたため、ナミちゃんのレースタイマーを私は借りていた。ところが、朝、ザキがそれを自分のと間違えてレースに出場。会ったら取り替えようとザキのタイマーをポケットに入れていたのだが、部屋でザキを見つけた時、なぜかレースタイマーをドライヤーで乾かしている。「ザキ、どうしたの?」「なんか、調子悪いんですよ、オフにならないし、カウントダウンにならないし……」「えっ、それ、ナミちゃんのなんだけど」「????」
 私は、レース終了後、電池を求めて石川へと車を走らせた。そして電池交換、2200円也。しかし、私とナミちゃんのタイマーは生き返らなかった。なにか同等の機能のあるストップウォッチはないだろうか。私は店を右往左往した。そして見つけたのが、赤いトマト柄のキッチンタイマー。それにバスコークとビニール袋で防水処理し、マジックテープを接着してレースタイマーの完成。
「どうよ、ザキ、コレ?」
「ええっ、オレ、こんなの使うのヤですよ」
……人が一生懸命作ったのに。


1月24日(金)大会3日目
 アマチュアクラスのレースは今日からだ。いよいよ私の出番である。しかし、北やや強の予報にもかかわらず、風はイマイチ。早めのお弁当を食べ、コングたちのビリヤードを見ていると、ユウジくんが来て言った。
 「アゼさん、なんか、アマチュアクラス、やるみたいですよ」
 「えっ、マジ!?」
本部へ行くと、本当にやるらしい。この風で。30分後にスタートだと告げられる。
 海上へ出てみるが、ブロウで時々プレーニングって感じ。スタート位置は遥か沖。あんなところまで登れないよ〜。
 微風の中、延々とタックを繰り返し、スタート地点を目指す。スタート艇にたどり着いた時、すでに予定時間は過ぎていたが、状況は他の選手も同じこと。スタート延期の旗が揚げられていた。
 ホーンとともに赤旗掲揚。スタート4分前だ。ザキから借りたレースタイマーのスイッチを押す。微風での海上スタートの要領がまったくわからない。プレーニングすればスグの場所でも、走らなければ果てしない距離になる。でもリコールはいやだ。
 その時、ビーチではみんながアマクラスのスタートを見ていた。
コングが「アゼさん、もっと前!もっと前!」と叫びながら体をイスから浮かせ、自分が前に出ていた。ユウジ君はいてもたってもいられず、自分の道具でスタート位置まで行こうかと波打ち際まで歩を進めた。
 しかし、海上の私にはその声は届かない。スタート、私はほとんど最後尾であった。スタート後、走っている選手もいる。しかし、私はダメだ。そして微風ジャイブ。これが苦手なんだ。沈! 第1レース、7位でフィニッシュ艇を通過。「J-222、もう一回行きます。スタート位置まで戻ってください」
 ここから、再び延々と微風タック。隣りのビーチに他の選手が上陸しているのを見て、私もそこに足を着ける。ボードの先端になんか黒い物体が付いている。「なんだろう、オイルボールがあるとか言ってたな。取っちゃおう」……ソレを触ったのが運の尽き。オイルが手にヌルヌルとこびり付いた。
 「ヤバイ!」
 そこで、赤旗掲揚。スタート4分前だ。
 「ヤバイ!」
 私は海中の砂を拾い、それで必至に手のオイルを落とす。……落ちない。黄旗掲揚。
 「ヤバイ!」
 しかたなく出艇。手に残るオイルがブームにも付く。ブームがヌルヌルする。スタート艇が近づく。上手くホバリングできず、少しずつ登ってしまう。スタートまであと何秒ガマンすればイイの? タイマーを見たいけど、ブームが滑りそうで余裕がない。青旗が揚がる。私ともう一人、登りすぎていた選手が必至に下らそうとする。スタート艇に手が届きそうだ。ブーム手が重い。「頑張れ!」とスタート艇から声がかかる。あの声で少し助かった。
 スタートラインを切った私だが、やはり走らない。ヌルヌルブームを握りしめる手の握力がだんだんとぎれてくる。さらに追い打ちをかける微風ジャイブ。ブームを持ちかえる手が滑る。沈! 
 このレース、何位だか分からずフィニッシュ。「もう1回!」の声が意識の遠くで聞こえたけど、もうダメ。一度浜へ帰らせて。
 ビーチへ戻ると店長とユウジ君が駆け寄ってくる。
 「アゼさん、固いですよ。ガチガチですよ。全沈じゃないですか!」
 「ダメですよ、アゼさん、もっと前!前!」
  叱咤激励を聞きながら、私は手のひらとブームに砂をこすりつけ、オイルを取ろうとした。さらに、ジェットスキーが沖からやってきて、「もう1回イキますよ〜」と言って去っていった。ああ、やっぱり、もう一度行かなきゃダメ?
 3レース目。7位でフィニッシュ。「ああ、これで終わりかなぁ」
 
 終わりじゃなかった。
 第4レースをやるという。それもマークを打ち替えて。今度は、スタート位置がさらに風上じゃないか。もし風が上がれば、同じコースを使ってサーキットクラスもやるつもりらしい。延々と微風タックを繰り返しながら、私は、自分のあたまをよぎる「恨みつらみ」と闘っていた。「アゼさん、自分との闘いですよ」と言った店長の言葉を何度も反芻する。
 スタート位置。例によってすでに予定時刻は過ぎている。私がたどり着くとほぼ同時に赤旗掲揚。ここまで来るだけでフラフラの心と体にムチ打ち、スタートの準備をする。
 ああ、また遅い。青旗のあと、先頭はプレーニングで第1マークへ向かう。私もスタートラインを切った後、なんとかプレーニング。やっとハーネスに寄っかかれた。しかし第1マーク回航後、再び漂流レースに。何位だかもう分からずにフィニッシュを切る(私より後ろの人もいるので、やっぱり7位くらい?)。フィニッシュ艇からアナウンス。
 「J222、もう1レース、やるかもしれないので、念のためもう1度登ってくださ〜いい」
 「かもしれない? どうするの? またあそこまで行くの?」
私は、またしても己と闘わなくてはならなかった。
 登っている最中、見るとジェットで引っ張ってもらっている選手がいる。「イイなぁ……」
 第5レース、スタート。今までになく遅れてスタート。この差は絶望的だ。しかも誰も走っていない。集団漂流。先頭が第1マークに達したとき、ホーンが何回か鳴った。そしてビーチからはチェッカーフラッグを持ったジェットが走ってきた。レース中止。終わりだ。これで浜へ帰れる。

 この日、風はそのまま上がらず、レース日程は終了した。「スタート苦手」「微風ジャイブ苦手」「パンピング嫌い」「すぐ息が上がる」「要は、歳!」という私の弱点をあますことなく発揮できた1日であった。


1月25日(土)大会最終日
 朝から無風。予報もかんばしくない。ミーティングも「ウエイティングです」とだけ告げられ、解散。そのまま1日ウエイティング。ゆっくりお弁当を食べ、ビリヤードをし、サッカーゲームをした後、レース終了が告げられた。


レース終了後の夕日。少し感傷的になる。

 閉会式&表彰式&パーティ。
 店長が13位に入った。表彰される時の顔がとても嬉しそうだった。あと一歩でシングル。ちょっと残念だけどスゴイことだよね。そして年間ランキングも発表された。コングも念願のシングル入り。ユウジくんも堂々の2位である。素晴らしい。
 そしてスピーチで、フリースタイルの石原プロが泣いた。悔し涙ではない。後輩たちが自分を追い抜いたことへのうれし涙だ。これには多くの人がもらい泣きしそうになった。

店長、うれしそうでしょ

石原番長、男の涙!


25日着のスティフメンバーも加えた二次会のようす。

上はダブルコング(コング&小川さん)。


1月26日(日)
 私とザキは、レースを終え、今日帰る。
 暖かい南風が吹いていた。昨日オキナワ入りしたスティフのメンバー4人を加え、みんなで海中道路へ行った。ポポロポイントで道具をレンタルし、オフショアの面ツル海面へ。レンタルなので道具は速くないけど、とても楽しい。レジャーセイリングを満喫した。その後、みんなで焼き肉とビール。ああ、何を食べても美味しい。何を飲んでも美味しい。それだけレース中、やっぱりプレッシャーがあったのかなぁ。
 最後の最後、飛行機が遅れる。ANAよ、おまえもスタートが苦手だったのか。おかげで帰りのリムジンを逃す。タクシーで千葉までという豪勢な帰路となった。

J-222 記 1月26日時点での速報レポートです。
店長やザキのレポートが上がり次第
順次アップします。


店長からのレポートが到着!レース前の様子が分かります。
J43
店長、レース直前レポート

1月11日
 9日から沖縄入りし、本日、ようやくムーンビーチでウインドが出来ました。出発前に沖縄用のボードが仕上がり、それを試せるコンディション。自分は6.8のセイル。他のセイラー&J20は7.6〜7.4で出艇。6.8では少し風が足りず、風もガスティ。新しいボードの調子がイイのか悪いのか分からず、もう少し風の強い日を期待。ただ、フィンがボードにあわないのか海面にあわないのか、ちょっと引きずる感じがして気になる。イカリさんがマウイから送ってくれる新しいフィンが楽しみ。

1月12〜14日
 なぜか風に見放されている。連日、暖かく、風はナシ。そんな中、J20は自転車にはまっており、昼夜あわせて80〜100キロを自転車で走り、なぜか自分もつきあわされている。
 石川にあるJ20の行きつけの自転車屋でカーボンフレームの自転車を借り、「競輪選手になるの?」っていうほどの練習がスタート。たかがチャリンコと思っていたが、最近のチャリンコは、まさにマシン。カーボンフレームの軽さ、一体化したブレーキレバーとチェンジレバーなど、驚きの連続。
 さて、J20は、坂道で興奮する。それも下り坂ではなく登り坂で。そんなJ20に付き合わされてペダルをこいでいると、頭が真っ白。無心ってこんな感じ?目の前の坂の頂上しか見えなくなる。そして苦しい登り坂のあとは、気持ちイイ下り坂。これはアッというまに終わってしまう。そんなアップダウンを繰り返していると、人生勉強をさせてもらっている気分になる。「登りはコツコツ、下りは雪崩のように!」……まさか沖縄に来てこんな事を考えながらペダルをこぐとは。そして次ぎの日から、ジムでのウエイトトレーニングがプラスされる。

1月15日
 ようやく自転車から解放される日が来た。朝から白波が見え、沖縄入り以来初の「まともな練習日」。アロウズ6.8におニューのエクセル・ボード、そしてマウイから来たばかりのベクターフィン33センチをセット。風がかなり強い。でもフィン、ボードの調子がよく、「もっと吹け」っていう感じでストレスなくスピードが伸びていく。自分の意見がかなり入っているボードなので、これは嬉しい。
 J20とスタート練習をポート・スタボー計50本くらいやり、空港にザキを迎えに行く。ザキは、明日からの自転車トレーニングを知らない。

1月16日
 「今日は自転車っしょ」、というくらいに、無風。朝食をとり、約2時間のウォーキング。昼食をとり、今度は自転車でアップ&ダウンのコースを40キロほど走りきり、本日のトレーニングを終了。ザキははりきりまくり、登り坂もガンガン。若さにまかせた余裕を見せているが、明日のザキが見物である。

1月17日
 グッドモーニング!さあ、ザキの様子は? 朝食をとって「さあ自転車だ」というJ20の号令にザキ、ダウン。「俺、家にいます……」 この日から体調を壊したザキ、大会までに良くなれば……。

1月19日
 今日、海中道路にあるウインドサーフィンショップ「ポポロポイント」主催のレース、「マスターオブ海中道路」にエントリー。会場に着くと、およそ60名の選手がエントリーしており、かなりの熱気。風も強く、6.3前後のコンディションの中、3マークのダウンウインドがスタート!今回、地元の選手+サーキットで沖縄入りしたプロ選手という豪華なレースになりました。トップはさすがはチャンピョン、J25の浅野選手。2位はJ53の諸田選手。そして3位が私、J43杉原。4位はJ20杉原祐史という結果で終了。キングタコスでは馬のエサのようなタコライスを食い、熱い胸焼けで本日を終了。

1月20日
いよいよ大会2日前。ムーンビーチ沖にマークを2つ置いてスタート練習。ぞくぞく選手が会場入りし、各チームごとに練習を開始。われわれ千葉軍団、チーム「ヴァン」……J85、J631、J43、J305の面 々もJ20を加えて海面をチェック。イクイップメントの調整に余念がない。中でも631ザキのスピードが光る。本番もこの調子でいければ。しかし、この時、誰も本番で20メートルの風が吹くことを知らない。このあとの大会の様子はJ222さんのレポートを参照。応援したり手伝ってくれたみなさん、どうも有り難うございました。